大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和61年(タ)368号 判決 1987年3月20日

原告 余部君子

被告 陳国春

主文

一  原告と被告とを離婚する。

二  原告と被告間の長男向全(西暦1967年6月13日生、公証書によれば西暦1966年6月27日生)、二男向民(西暦1969年8月9日生、公証書によれば同年6月28日生)、三男向山(西暦1972年4月5日生、公証書によれば同年2月8日生)、四男向龍(西暦1977年7月13日生)及び五男向虎(西暦1977年7月13日生)の監護者を被告と定め、長女蘭彦(西暦1979年4月29日生)の監護者を原告と定める。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

一  原告は、主文一、三項同旨の判決及び「原告と被告間の長男向全、二男向民の親権者を被告と定め、三男向山、四男向龍、五男向虎及び長女蘭彦の親権者を原告と定める」との判決を求め、請求原因として次のとおり述べた。

1  原告(昭和23年12月1日生)は、許嫁であつた被告と昭和41年7月15日中華人民共和国において同国の方式により婚姻した。なお、原・被告間には、長男向全(昭和42年6月13日生)、二男向民(昭和44年8月9日生)、三男向山(昭和47年4月5日生)、四男向龍(昭和52年7月13日生)、五男向虎(昭和52年7月13日生)、長女蘭彦(昭和54年4月29日生)が出生した。

2  原告は、結婚後家事一切のほか家畜の世話や家庭菜園での作業など忙しく働いたが、被告は、怠け者で、生産大隊の農場へ仕事に行かず、友人宅や女のところに遊びに行くことが多かつたので、収入も少なく生活にも困窮し、また家事など家庭での仕事を手伝おうとはしなかつた。

3  そこで、原告がもう少し真面目に働くように言うと、被告は手当り次第に物を投げつけたり、殴る蹴るの暴行を加えた。

また、被告は、原告に再三暴力を振るい、原告の手をしばつてベルトや棒で殴りつけた。

4  原告は、昭和57年8月12日長女のみを連れて来日し、その後日本国籍を取得し、昭和59年7月4日被告及び5人の男の子を日本に呼び寄せ、原・被告は東京都江戸川区○○○×丁目に居住しはじめた。

5  原・被告は、日本での同居生活をはじめて間もなく、両者の性格の相違や子供の教育に対する考え方の相違などで毎日のように口論が絶えなくなり、また、原告の帰宅が遅いと、被告は原告の男性関係を邪推した。

6  昭和60年4月末ころには、原・被告の家庭では、子供たちの間での兄弟喧嘩や親子喧嘩が絶えず、同年5月1日に家庭内での暴力に居たたまれなくなつた原告が、母親に相談するため家を出ようとしたところ、被告は「お前は他所の男のところへ逃げる気だろう」と激昂し、自転車のチェーンで原告を殴打し、全治二週間の傷害を負わせた。原告は、同日以来被告と別居している。

7  原告は、現在働きながら長女を養育し、他の5人の男の子は被告とともに暮しているが、三男は中学校1年生で、四男、五男は小学生で兄弟仲がよく、家庭生活や教育上も母親を必要としている。

8  原告は、昭和60年12月被告を相手方として東京家庭裁判所に調停を申立てたが、昭和61年2月18日不調となつた。

9  右のように、原・被告間の婚姻は、準拠法である中華人民共和国婚姻法25条にいう「感情に亀裂を生じ、調停しても効果がないとき」にあたる。

よつて、原告は、被告との離婚を求める。なお、原・被告間の長男向全、二男向民の親権者を被告と定め、三男向山、四男向龍、五男向虎及び長女蘭彦の親権者を原告と定めるのが相当である。

二  被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求めた。

三  証拠関係<省略>

理由

一  その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第1、2号証、その方式及び趣旨により外国官公署が職務上作成したものと認められるから真正な外国公文書と推定すべき乙第1ないし第3号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第3、第4号証、乙第6号証、原告(第1、第2回)及び被告本人尋問の各結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  請求原因1の事実

2  原・被告が中国に居住していたときは、その生活は経済的に苦しく、被告が家事など家での仕事を手伝わず外での働きも悪いと原告は考え不満に思つていた。また、被告は原告に対し、喧嘩となつた際に足蹴にしたり、手を縛つてベルトや棒で殴るなどの暴力を振つたこともあつた。

3  原告は、昭和57年に来日し日本国籍を取得した後、被告や子供らを昭和59年7月9日日本に呼び寄せ、再び原・被告一家は日本において同居生活をはじめた。しかし、日本での同居後2か月もすると、被告は原告が外出して他の男性と飲食などの付き合いをしていると疑つて、原・被告間では口論が絶えなくなつた。また、原・被告一家では、昭和60年4月末ころになると親子喧嘩や子供の間での兄弟喧嘩も激しくなり、家庭が次第にすさんでいつた。

4  そこで原告は、同年5月1日このような家庭に居たたまれず、長女を連れて実母の許へ行こうとしたのを被告は「男のところへ行くのだろう」と言つて止めたことから喧嘩となり、原告は被告から全治約2週間の打撲傷を負わされたが、結局原告は、同日長女を連れて実母の許に帰り、原・被告は別居状態になつた。その後原告は被告を相手方として東京家庭裁判所に調停を申立てたが、不調に終り、今日まで別居が続いている。

5  原告は、現在、縫製の仕事のほか生活保護を受けて長女とともに生活しており、被告との婚姻を継続する意思を失ない離婚を希望している。一方、被告は、生活保護を受けて5人の男の子とともに生活しており、別居後に原告が今村某、佐藤某などの男性と交際しまたは同居しているとの疑いを持つているが、日常生活での不便や5人の男子の教育のために日本語をある程度理解できる原告との離婚に反対している。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  本件離婚の準拠法は、法例16条により夫たる被告の本国法、すなわち中華人民共和国の法律によるべきところ、中華人民共和国婚姻法(西暦1980年9月10日公布)25条2項後文は「感情に亀袋を生じ、調停しても効果のない場合」を離婚原因としている。

ところで、前記一で認定した事実によれば、原・被告間には、右離婚原因たる「感情に亀袋を生じ、調停しても効果のない場合」にあたる事情が認められ、かつ、日本民法770条1項5号にいう婚姻を継続し難い重大な事由があるといわざるを得ない。

三  つぎに、原・被告の離婚にともなう未成年の子の親権・監護については、離婚の付随的効果の問題として離婚準拠法たる中華人民共和国の法律によるのが相当である。右中華人民共和国婚姻法29条は、「父母と子の間の関係は、父母の離婚によつて消滅しない。」(1項前文)、「離婚後も、父母は子に対して、依然として扶養と教育の権利と義務を有する。」(2項)とした上で、「授乳期間をすぎた子について、もしも父母双方の間で扶養の問題で争いが生じ、協議が成立しない場合には、人民法院が子の利益と父母双方の具体的状況に基づいて判決する。」(3項後文)と規定している。

そこで、監護者を指定すべきところ、前記認定事実及び原告本人尋問(第2回)の結果によれば、被告が現在養育している5人の男の子のうち、長男、二男は間もなく成人に達し、また間もなく三男は15歳に、四男、五男は10歳になり、いずれも幼少とはいえないこと、原告が5人の男の子を置いて別居したのちすでに1年9か月を経過しており、しかも原告は現在5人の男の子の養育状況すら確知していないことが認められるので、原・被告間の長男向全、二男向民、三男向山、四男向龍及び五男向虎の監護者は被告と定め、長女蘭彦の監護者は原告と定めるのが相当である。

四  よつて、原告の本訴離婚請求は理由があるので認容し、原・被告間の長男向全、二男向民・三男向山、四男向龍及び五男向虎の監護者を被告と定め、長女蘭彦の監護者を原告と定めることとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村重慶一 裁判官 武田聿弘 石田浩二)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例